冬の播但線(2) [JR播但線]
昨年の12月に、JR播但線を訪ねました。
その続きです。
長谷駅から、生野駅へ線路沿いに車で北上します。
山間の道路を走ること、数分。
長谷駅側へ振り返ったところです。
いよいよ山の中へ、線路は通ります。
(本日の写真は、クリックしていただくと、拡大して表示されます)
山の中といえども、車の通りがあり、列車の本数も多いので、
踏切がしっかりあります。
この踏切のそばには、小さなトンネルが。
本日の写真の1枚目の踏切の反対側には、
このようなゆったりとしたカーブがあります。
小さなトンネルですが、トンネルを掘るまでもなかったぐらいですね。
トンネルの横の道を進むと、トンネルの反対側に出ます。
そこには・・・
忠魂碑が。
SLの時代、トンネルの中で窒息してしまった機関士さんと助士さんが、
この忠魂碑の脇のトンネルまで暴走し、ここでなくなられたとのこと。
先ほどのトンネルがなければ、助かっていたかもしれませんね。
この忠魂碑のそばにも、踏切があり、ここで撮影します。
踏切から、長谷駅側を眺めると、さきほどのトンネルの反対側があります。
踏切のそばの生野駅側には、橋が架かっています。
さて、お目当ての列車がやってきました。
思ったよりも速度が速く、ピントが車体側面に合ってしまい・・・
通り過ぎた先も、写しましたが、日が陰ってしまい・・・
撃沈でした・・・
暖かくなったら、また来てみたいポイントですね。
車を北上させ、生野駅方面へ行きます。
(2015.12.4)
嵐電(京福電車)北野線の新しい駅、「撮影所前」に行ってきました。
相当できていますね。
桜のシーズンに間に合うように、急ピッチで建設しているようですね。
(2016.2.27)
☆サブ・ブログ「嵐電でお散歩」もお楽しみください
その続きです。
長谷駅から、生野駅へ線路沿いに車で北上します。
山間の道路を走ること、数分。
長谷駅側へ振り返ったところです。
いよいよ山の中へ、線路は通ります。
(本日の写真は、クリックしていただくと、拡大して表示されます)
山の中といえども、車の通りがあり、列車の本数も多いので、
踏切がしっかりあります。
この踏切のそばには、小さなトンネルが。
本日の写真の1枚目の踏切の反対側には、
このようなゆったりとしたカーブがあります。
小さなトンネルですが、トンネルを掘るまでもなかったぐらいですね。
トンネルの横の道を進むと、トンネルの反対側に出ます。
そこには・・・
忠魂碑が。
SLの時代、トンネルの中で窒息してしまった機関士さんと助士さんが、
この忠魂碑の脇のトンネルまで暴走し、ここでなくなられたとのこと。
先ほどのトンネルがなければ、助かっていたかもしれませんね。
この忠魂碑のそばにも、踏切があり、ここで撮影します。
踏切から、長谷駅側を眺めると、さきほどのトンネルの反対側があります。
踏切のそばの生野駅側には、橋が架かっています。
さて、お目当ての列車がやってきました。
思ったよりも速度が速く、ピントが車体側面に合ってしまい・・・
通り過ぎた先も、写しましたが、日が陰ってしまい・・・
撃沈でした・・・
暖かくなったら、また来てみたいポイントですね。
車を北上させ、生野駅方面へ行きます。
(2015.12.4)
嵐電(京福電車)北野線の新しい駅、「撮影所前」に行ってきました。
相当できていますね。
桜のシーズンに間に合うように、急ピッチで建設しているようですね。
(2016.2.27)
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ローカル線夏の旅 (SAN-EI MOOK 男の隠れ家特別編集ベストシリーズ)
- 作者:
- 出版社/メーカー: 三栄書房
- 発売日: 2012/04/25
- メディア: ムック
弔魂碑は昭和34年4月6日の脱線転覆事故を今に伝えるものであることを知りました。
SL時代の播但線は日々、窒息・灼熱の煙との戦いだったことも脱線転覆事故のことを調べていって知りました。
モボさんが記事にされたことがきっかけで今まで知らなかった播但線の歴史を知ることが出来ました。
by たじまーる (2016-02-28 19:46)
たじまーるさん、コメントありがとうございます。
SL時代、本当に大変だったのでしょうね。
鉄道があったおかげで、移動が楽になったり、
兵庫県の北部も栄えたり、阪神淡路大震災では迂回路になったりと
大切な役目を果たしている路線だとわかりますね。
by モボ (2016-02-28 21:02)